そもそも「ノマド」というのは「遊牧民」または「放浪の民」といった意味で、ノマドライフは遊牧民的な生き方のことです。
最近、FIREの民のブログ記事を見ていると、好きな土地に移り住みながら生活をしている方を見かけます。
沖縄や京都、北海道、自分が興味がある土地で数週間から数ヶ月過ごしてみる。
こんな選択ができる彼らは、まさにノマドと呼べる人達なのでは、と気になりました。
決まった土地で、毎朝会社に出勤しなくてはならない人は、いくら在宅勤務が進んだとしても、ノマドではありません。
自由に放浪しながら、生活や仕事をしているライフスタイルが、このノマドライフです。
江戸中期の文人、神沢杜口(かんざわ とこう)は、40歳で家督を娘婿に譲ると、伝説などを書き写して200巻にもおよぶ「翁草(おきなぐさ)」という随筆(いまでいうエッセイ)を残しました。
この人、44歳で妻を亡くした後、娘一家に迷惑をかけまいと同居せず、86歳で亡くなるまで一人暮らしを続け、18回も引越を繰り返しながら執筆を続けたそうです。
1~2年住んで飽きればよそに移るといった、まさにノマドライフ。
あやかりたいものですねえ。
さて、現代のノマドとは、どういった印象でしょうか。
2020年ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した「ノマドランド」という作品があります。
この作品では、リーマンショックで住む家と夫をなくした60代の女性が、キャンピングカーに荷物を積み込んで、車上生活を始めるというお話。
経済的な困窮が背景になっていますが、行く先々で出会うノマドたちとの交流とともに、誇りを取り戻していく女性の姿が描かれていまして、ちょっと悲壮感が漂ってます。
では、経済的自立を下敷きにしているFIRE後のノマドライフは、どうでしょうか。
住居費(家賃や固定資産税)を払わなくてよいという意味では、車上生活にもメリットはありますので、生活費を切り詰めるスタイルのFIREには向いているかもしれません。
ついでに、いつでも好きな所に行ける。これほどの自由はないですね。
冬になったら南に行って、夏になったら北に行ったり。これは少し楽しそうではあります。
私の場合は妻と二人でキャンピングカー生活というのは、到底無理そうですので、短期間のウィークリーマンションなんかを転々とするスタイルなら、まだ検討の余地がありそうです。
ただ、その場合も「ノマド」というからには、自宅は手放す必要があります。
自宅を残しておくなら、それは単なる旅行にすぎませんからね。
地方都市の小さなマンション(持ち家)住まいなので、住居費(管理費+修繕積立)と固定資産税で年間30万程度の節約ができます。
しかし自宅を手放すとなると、大量のモノをどう処分するかという問題もありますから、一筋縄ではいかないようです。
しかし、「ノマドライフ」憧れますね。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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