FIREまでの役半年にわたる道のりを振り返っていきます。FIRE目指す方の参考になれば幸いです。
地元福岡から2017年に東京へ単身赴任となったpandaは、いわゆる管理職的な立ち位置だったのですが、あるプロジェクトのマネージャーが退職したことによりその全業務を引き継ぎぐことになりました。
この前任者が担当するプロジェクトの顧客が、まさに私にとって最悪な顧客となりました。(前任者の退職の原因もこの顧客)
この顧客の高圧的な態度やふるまいにより、私自身のモチベーションは徐々に低下していきます。もちろん上司にも何度か相談したのですが、その上司と顧客が懇意であったことから、なかなか取り合ってもらえませんでした。
今から振り返ると、その段階で私の退職の意思が固まっていったのだと思います。
私は漠然としていた退職したい気持ちに対しての答えを探し始めました。
退職したとしてもその後の生活はどうするんだ、と退職後の資金計画を確認し、何度も試行錯誤してみました。
そして「何とかやれそうだ」と、自分の中で決心を固め、家族との対話を始めました。
しかし、唐突な話に家族の理解は得られず、精神的にはかなり落ち込みました。八方ふさがりです。
同時にこのころ、前述の問題顧客からの言葉のいじめや叱責がさらにエスカレートし、精神的にも参ってしまいます。
そんな状況でも、家族の理解はその後の生活を送る上での重要なファクターです。時間をかけてでも、理解を得ることに注力しました。
家族向けの説明の詳細はこちら記事で。
なんとか家族の理解が得られた8月、満を持して上司に退職の意思表明をしました。
私の退職意志はすぐに会社上層部に伝わり、ここから慰留のための対話が何度か繰り返されました。
しかし、どんなえさ(勤務地変更や新しいポスト)をぶら下げられても、ここは自分の意思を通すことに集中しました。
もしここで意志をくつがえして会社に残ったとしても、社内では「会社に迷惑をかけたわがままな奴」というレッテルが貼られることでしょうから、残るのも地獄です。
この時期もまだ業務は継続していましたので、問題顧客にも週1ペースで仕事の打ち合わせや報告をしていました。
私自身そのせいで精神的にだいぶまいっていたのですが、10月になりようやく私の退職と最終の出社日が了承され、社内関係者に周知され、引継ぎ作業の開始となりました。
ここで一気に気持ちは前向きになりました。
ここまでくる間に、自分の仕事の手順書などを少しずつまとめておいたので、引継ぎ作業はスムースに進めることができました。
その後、ほどなく引継ぎ作業は終わり、およそ一か月半の有給休暇の消化に入ります。
いや長かったぁ。振り返ると結構な忍耐が必要でしたが、これでやっと解放されます♪
12月末で退職となりますので、退職手続きの指示が会社から届きました。しっかり目を通して、間違いのないよう、自分に不利にならないよう注意して進めました。
退職金や年金、保険、失業保険などの取り扱いは、なにせ初めての事なので戸惑うばかりでしたが、なんとか無事に手続きを済ませ、
これでやっと自由になれる、と全身から憑き物が落ちたようなさっぱりした思いでした。
ざっと半年あまりの退職活動をまとめてみました。あとは、残りの人生を悔いが残らないように生きていくことに全集中です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ではまた。
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