先日、こんなネット記事を見つけました。

50代半ばで金融資産一億円の男性が、毎日の通勤や会議、人間関係に疲れを感じて退職し、地方に中古住宅を購入して移住されます。
しかし「毎日が休暇」のような日常に、このご主人はいつしか違和感を覚えるようになり、退職から4年後に再就職を決意されます。
お金が欲しいわけではなく、「誰かと関わり、自分の役割を感じられことも必要である」と。
自由が日常になると、そのストレスのない生活が、だんだんと退屈となり、
他者との関わりが減少することによって、それを孤独と捉えるようになります。
退屈と孤独は、ストレスどころか刺激そのものがなくなる状態で、そのままだと自分自身の影が薄まっていくような気がします。
私自身は、暇つぶしは得意な方だし、孤独を楽しめるタイプなので、そこまで深刻ではありませんが、何かしら自分に課題を課したり、時々誰かの役に立つための作業を支援したりしながら、バランスはとっています。
例えば、
- 家計簿をつけて日々の家計支出を把握し、年間収支と資産状況をブログで整理する
- 知り合いの会社の社内システムの、不具合を直したり、要望を具現化したりする
- 2か月に一度くらいは、夫婦で孫に会いに出かける
- 月に一度くらいは、実家の両親とご飯を食べる
- 週の半分は、家事全般を担う
- 毎日、散歩なり買物なりで外出し、できれば一万歩は歩く
と、挙げてみたものの、正直、ストレスがなさすぎますね。
上述の記事を読んで、改めて感じるのは、私自身にももう少しハードな課題を課すべきではないかといううこと。
というのも、課題や制限を課すことによる不自由さが、自由の喜びを増幅させ、ひいては人生の喜びの総量を増やすことになりはしないか。(振動の振幅が大きくなる)
そこで、新たな制限として、
- 週に1本以上はブログを書く(ちょっとだけストレス)
- 毎日30分は勉強する
- 毎日10分は筋トレする
- 週に2日は休肝日
を追加することにします。
他者との関わることは依然少ないですが、人間関係のストレスは今後も増やしたくないというのが本音です。
私の妻がパート先で、お客さんに理不尽なこと言われたり、いかにも怒り口調でクレームを言われたりすることが多々ある、と愚痴をこぼしていました。
仕事だからと我慢もできるのでしょうが、「誰かの役に立ちたい」などという、綺麗ごとばかりじゃないのが仕事です。
私もかつて、理不尽なお客さんのおかげでメンタルを病みましたが、お金をもらう以上、仕事をもらう以上、対等ではいられないのが日本人のメンタル。(お客様は神様的思考)
なので、私がやることは常に無償(FREE)で対等です。ボランティア精神は無敵です。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。ではまた!




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